土肥あき子 →■□profile□■ |
こぶたの正体 |
長い残暑から解放され、ようやく秋らしい秋が訪れた平成24年10月27日。 北陸学院大学の中島賢介氏から「小学校国語教科書に関して」とタイトルされたメールが届いた。 平成21年にホームページに公開してから、特に進展もなく、利用していたmacのMobileMeも平成24年6月で終了し、いくつかの記事をまとめてso-netへと移したものの、はたしてこの徒労の記録に意味があるのだろうか、と逡巡しつつ作業した「こぶた探訪録」である。 メールは「もうすでにご存知のこととは思いますが」で始まる。 『中村草田男全集』第9巻(みすず書房)に「小学校国定教科書の俳句に就いて」というエッセイがございます。(確か初出は昭和25年の『俳句研究』だったと記憶しています。)このエッセイは、恐らくこの時期の話について書かれているものと思われます。詳しく書かれていないのが残念ではありますが、当時の時代背景を考える上で参考になるのではないかと思い出し、無礼にもメールした次第です。 このまったく無礼ではないメールにより、こぶた探しは飛躍的に前進した。 言われてみれば、俳人十三句のなかで草田男だけが八句と飛び抜けて採用数が多く、教員という職業柄、教科書委員との関係もありそうで、以前主宰誌「萬緑」に子供の俳句投稿欄の有無を調べたことがあったが、それきりになっていた。「小学校国定教科書の俳句に就いて」の初出は「俳句研究」昭和25年4月号であることから草田男の記憶も新しいに違いない。 そこには「戦後の新しい教育理念と方向とに即した小学校の国語国定教科書が編まれることになり、其中、四年生と六年生との分には現代俳句の実作も収められるということになった。そして其際、私も、一種間接ではあるが殆ど直接同様に近い関係で其企画に結びつく結果となった。(中略)一応の事情を説明して置こうと思い立った次第である」と、核心に触れる文字が見られた。 石森から自作とともに、児童作を五句ほど選出してくれと頼まれた草田男は、「たまさか、それよりも一年程以前から、及川甚喜氏が小学館の「少国民の友」の編集長をしていたのに依頼されて、同誌の児童俳句欄の選を私が担当していたので、教科書四年生用の児童作品はその収穫の中から吟味したものを提出することにした」とある。六年生教科書での自作の誤植事件にも触れ、この時期を「23年度の新学期までに、一年生から六年生までの新教科書をどうしても作りあげてしまわなければならないという絶対的な条件の中に置かれていて、時間は切迫し尽くしていた」と振り返っている。 また、全集6巻には「俳句の味わい方と作り方」があり、こちらの初出は昭和23年6月に出版された『やさしい短歌と俳句』(天平堂)からの文章であり、教科書に掲載された作品を一句ずつ丁寧に解説している。 まず、四年の後記の教科書から見てゆきますと、「夕やけ」という章のなかに次の一連の作品がのっています。 (イ)すみきったボールの音や秋の風 (ロ)秋風にプールの水がゆれている (ハ)草原に一本あかしはじもみじ (ニ)二重にじ青田の上にうすれゆく (ホ)朝つゆの中に自転車のりいれぬ どれも皆三、四年生くらいまでの児童が作った俳句ですから、皆さんには頭から読み下しただけで意味はすぐにわかる筈です。 (中略) 五、六年生くらいの年齢のものが作ったので、ずっとそれぞれの人の、独特の観察や発見や気持やが濃くでています。 (イ)かあさんがぼんやりみえるかやの中 (ロ)上ばきを自分でつくるわらしごと (ハ)子もりするしずかなる月なの上に (ニ)麦ふむやみだれし麦の夕日かげ (ホ)こがらしや子ぶたのはなもかわきけり (ヘ)月の夜をわが家のありしあたりまで 残念ながら作者名までは書かれていなかったが、おおよその学年齢は掴むことができた。意外なことに教科書の配列は上級者である高学年の句群から始まり、低学年、俳人の順で並んでいたことも判明する。 また、一句ずつの解説で、こぶた句の切れ字をふたつ使っている件についても触れていた。 「昔の人は、「や」と「けり」とを一句の中に用いることも禁止したのです。けれども、「けり」は、ひびきもやわらかく、その上物をあらわしているのではなく、事柄をすらすらと説明している言葉なのですから、その点で「かな」と違って、「や」と一緒に用いても、うまく用いれば差し支えないと私は思います。」 さすが〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉を世に出した草田男である。 とはいえ、作者名を探すには、やはり『少国民の友』を探すほかはなさそうだ。 『少国民の友』は小学館から出ており、それぞれの学年名で発刊されていた雑誌を昭和17年2月号から高学年向けを『少国民の友』、低学年向けを『良い子の友』として統合したものだ。広報部に問い合わせると及川甚喜氏が編集長だった時代は昭和20年10・11月号から昭和21年11月号までということが判明したが、関係者以外本誌を見せてもらうことはできないと断られた。さて「少国民の友」をどうやって探すか。 当時手当たり次第、昭和20年から21年の俳句の投稿欄がある少年少女雑誌、新聞などを当たっていたが、『少国民の友』はどこの図書館でも欠号ばかりでろくにチェックできなかったものである。しかし、ふと国会図書館で多くの雑誌が整理中だったことを思い出し、あらためて検索してみると憲政資料室でまさに昭和20年10・11月以降からについて閲覧可能になっていた。 あんなに逃げ回っていたこぶたが、今度ばかりは鼻を鳴らして駆け寄ってくるようだ。 昭和20年10・11月号の『少国民の友』の児童作募集には「作文、詩、短歌」のみだったが、翌年2月号では「文章、詩、短歌、俳句」と俳句も募集欄に含まれた。選者名まで明記され、新編集長も児童の作品への紹介に力を注いでいたことが分かる。 ![]() 作品募集後、実際に児童作が掲載されたのは4月号だった。 そしてそこに、あっけなくこぶたは現れたのである。 ![]() 一句目も教科書に採用されている句である。石森が依頼した科書に掲載されていたより漢字が多く、なんだか大人びて見える。 こうして12年の歳月を走り回った名無しのこぶたが、群馬の小野君のこぶたになった。 尚、5月号からは投稿する際に必ず学年を書き入れることが付加され、6・7月号からは名前に学年も記載されるようになった。「少国民の友」で草田男が選者をした時期は昭和21年4月号から12月号までの全7回あった。そのうち教科書掲載句の作者が判明した作品は次の通りである。 かあさんがぼんやりみえるかやの中 母さんがぼんやり見えるかやの中 山口 吉田元紀 初4(昭和21年12月号) 上ばきを自分でつくるわらしごと 上履きを自分で作る藁仕事 長野 林 孝一(昭和21年5月号) 子もりするしずかなる月なの上に 子守する静かなる月菜の上に 高知 中川憲太郎 初6(昭和21年12月号) 麦ふむやみだれし麦の夕日かげ 麥踏むやみだれし麥の夕日影 茨城 宮田 清(昭和21年4月号) こがらしや子ぶたのはなもかわきけり 凩や小豚の鼻も乾きけり 群馬 小野敏夫(昭和21年4月号) 月の夜をわが家のありしあたりまで 月の夜をわが家のありし邉りまで 山口 福永邦昭 初6(昭和21年12月号) こうして、児童作のうち六句の作者が判明した。草田男の記述によると児童作は全て『少国民の友』から抜粋したとあるが、選者の期間を全て見ても残りの五句の採用はなかった。おそらく、落とした句稿のなかから三、四年生の作品を取り出していたのではないかと推測する。 こぶた句を含め、これらの作品を「救い出せた」というような気分になるのはどうしてだろう。おそらくそれは、あらゆる作品には作者が存在するからではないか。たとえ作品本意で向き合う新しい教育方針とはいえ、作者が思いを込めて作った俳句を、名無しのままにしておくことがなんともやりきれなかった。 児童作は昭和21年当時三年生から六年生というから、今年75歳から78歳くらいの方の作品である。今もご健在の方がいらっしゃるはずである。ならば、今度はぜひお会いして、当時の話しをうかがうことも可能なのだ、と更なる欲に捕われる。 |
草田男の俳句欄 |
このたび『少国民の友』を読んでいて、なにより驚いたのは、草田男の評の厳しいことである。10歳前後の子ども相手とは思えない容赦のなさである。草田男の教師としての息づかいが聞こえてくるような言葉でもあるので書き抜いてみた。 昭和21年4月号 現在のところでは、大部分のものは、未だに如何にも幼稚だ。それでも、その中から入選の五句位の出来のものが見つかったのは悦ばしい。昔の人の作った有名な句を焼き直したり、又はその儘で送ってよこすような馬鹿な真似は、今後はピタとよしたらいい。そんなことにはだまされない、そんなことをしても無駄だ。 昭和21年5月号 こんどはずいぶんいい句がたくさんあった。二十幾つかは何とかして入選さしたいと思ったくらいであった。だから、この調子で今後もゆるむことなく努めて貰いたい。ただいまだに大人の作品らしいものが混じってくるのは、如何にも困る。子供の楽しい遊園地へ大人が来て拳闘か何かをやっているのを見るようなイヤな気がする。 昭和21年6・7月号 今回は投句の数が飛躍して多くなった。ところが、それに正比例して、昔の人の作品や、現代の大人の作品やを、そのままか或は焼直したものの数も激増して、私を憤然とさし、又真から悲しませた。少年少女諸君等が、そんなきたない卑怯な真似をするようでは、日本の将来は、一体どうなると思うのだ。それにいくらゴマ化してもすぐわかるのだ。実例を少しあげて見せよう。(中略)こんなものを投句しつづけると君たちの人柄が腐ってしまうぞ。こんな句が一つでも混じっていたらその句稿の他の句は全然見ないことにした。それらの人たちへのみせしめに、今回は無邪気な純粋な、いきいきとした、少年少女らしいほんとうの気持が出ている作品だけを選って、ふだんより少し数多く採用した。へんなことをした人たちは、これらの作品を、篤と見て反省したまえ。 昭和21年9月号 今月の投稿からは、諸君の学年が書き込んであるので、選をするときの手ごころに大変参考になった。今後もこれを書き落とさないように。結果としては、四年生以上の人達だけが入選となったが、まあ致方ないであろう。俳句はそれほどに、むつかしいものだ。おいおいには初学年のいいものも現れてくるに違いない。私も絶えず気をつけていよう。 昭和21年10月 依然として、昔の人の、又は大人の作品をコッソリ写して送って来るものが絶えない。戦時中には「日本人同志じゃないか」という言葉がよく口にされた。今だって同じだ。日本人同志で、しかも潔くなければならない少年少女が、ひとを欺いてどうするのだ。 昭和21年11月 前月頃から投稿のかずが激増した。そして、ほんとに「少年少女」というのにあたっている年齢の人たちの作品だけにかぎられてきたのは喜ばしいが、そのかわりに、なげやりな作品、うわの空の作品もおおくなってきたのは残念である。無邪気とでたらめとは別物である。俳句は形こそ短いが、それだけに、手落ちのないりっぱなものを作ろうとすれば、よくよく観察して、十分にいいあらわすように、よほど注意し、努力しなければだめである。 昭和21年12月 今月は、投稿が沢山であったにかかわらず、古人、又は現代の大人の作品を利用したようなものが、殆ど無かったのは如何にも嬉しかった。それで、私も晴々とした気持ちになって、よくしらべて、かなりに沢山に、入選さした。初等科四年生あたりに、纏まった句があらわれ出したのも結構である。三年生くらいだって、いっしんに作れば作れない筈はないと思う。学校での同じ組の生徒が、一緒に揃って作品を並べて書いてよこしているものは、どうしてだか大体において、成績がよくない。所謂「お祭さわぎ」の、いいかげんな気分に流されてしまうからではないであろうか。 探訪記でも触れたが『少国民の友』は『少国民新聞』(現毎日小学生新聞)昭和21年7月23日付の「雑誌の批評」に「文章、短歌、俳句の少国民作品募集も漸くはっきりした地盤をつくることができたらしく、入選作の水準が著しく高くなったことが眼につく」と書かれた注目の俳句欄である。草田男の熱の入った選評からも、投稿は毎号増していくばかりに見えるが、昭和21年12月及川編集長から離れ、『良い子の友』の浅野次郎氏が兼任で編集長になると、俳句のページがなくなってしまう。あるいは、及川氏との関係から、草田男が選者を辞退したのかもしれないが、昭和22年4月号の「編集部から皆さんへ」では「できるだけ皆さんの文章や工作をのせようと思います。いろいろな募集がありますから、ふるって出してください。なお都合によって今まで皆さんから募集していた短歌と俳句は今月からやめます」と俳句も短歌も終了と告知される。 『少国民の友』は昭和21年9月号からタイトルが右読みから左読みに変わり、昭和22年4月からは表紙のイメージもがらりと変わる。少年少女雑誌はこの一年の間に本文も文部省が決めた当用漢字と新かなづかい、ローマ字は訓令式に統一されていく。 俳句は雑誌刷新のタイミングのたび、現れたり消えたりしてきた。それは見かけが古めかしいために、理解ある情熱的な編集者がいない限り、あっさり切り捨てられてしまう運命にあるようだ。 平成23年、小学館の学習雑誌『小学三年生』『小学四年生』『小学五年生』『小学六年生』は次々と休刊となり、平成24年3月、高学年向けの『小学館の学習ムック』(不定期刊)が刊行された。昨今では学習雑誌そのものが存続の危機に立たされている。 |
長い長い物語をお読みくださり、ありがとうございました。 土肥あき子 |
【追伸】 朝日新聞(2013年1月29日・朝刊)に「こぶた探偵団」を紹介していただきました。
小野さんについての情報は残念ながら寄せられていません(> <)。2013.6.30 |